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2006年11月11日 (土曜日)

自然環境について②

今、ある人からの薦め(強制?)で「学問のすゝめ(福沢諭吉)」を読んでいます。読まされています。

今と当時では時代背景は違いますが、人としての真理は普遍であることをこの本から感じています。

だだし一つだけ違和感を覚えるところがあります。

著書の学問の目的に、「一身一家の生活の安定だけで満足するのではなく、社会の一員として、社会の発展に尽くさねばならぬ。」とあります。

つまるところ、当時であれば文明開化することであり、文明を発展させるものが学問との事です。

ある意味ではその通りですが、ここで一番‘文明’の定義が問題となります。

当時の人と自然との関わりや人の営みについて、著書にこのように書かれています。

「人間を囲んでいる自然界の物で、一つとして人間の役立たぬものはない。(中略)風は風車を動かし、海は物資の輸送に便利だ。(中略)山の石炭を掘り、河・海の水を汲み、火力・水力を利用した蒸気によって、汽車・汽船を自由に動かす。」

「人間は、この自然界からの恩恵をうけ、その働きにすこし手を加えることで、自分の利益に役立てている。自然の力で作られたものに、人間が1パーセントほどの力を加えただけで、人間は衣食住を得ているのだ。」

福沢諭吉と言えども今日の環境破壊を想像できなかったでしょう!

明治7年当時に比べ、確かに文明は進歩しました。しかしその代償は計り知れないと思います。

生活も豊かになり、何もかも便利になりましたが、自然を、環境を置き去りにしてきたのではないでしょうか?

福沢諭吉が今の世の中を見たら間違いなく文明の成れの果てに落胆すると思います。

しかし著者は有能な人物とは、生活の豊かさだけを求めるのではなく、社会のおける人間の義務を重んじ、高い理想を抱く人だと言っています。

文明とは何か?改めて考える必要がありそうです。

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