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2007年6月 3日 (日曜日)

学ぶべきは誰だ?②

昨日の続きです。

何故こんななってしまったのでしょうか?(もちろん一部の親でしょう。立派な方も沢山おられます。)

こんな親達は団塊ジュニアの年代の方々です。

このような意見もあります。団塊世代の方々は、高度成長期の競争社会で揉まれに揉まれて社会生活を送っていたはずです。

拠り所はマイホームでしょう。他人を受け付けない家庭が出来上がり、その中で家族、取り分け子供は仲間であり、友達として育てられます。

その子供は偏差値至上主義で辛い評価を下されて育ち、更にその子供にはせめて平等を味合わせたいと思うのも自然の成り行きのような気もします。

時代の変化が今の世の中にしてしまったのかもしれません。

しかし考え直さなければいけないです。

一つ一つの能力は平等ではないはずです。生まれつき人には個性や長所があります。足が速い人もいれば、歌の上手い子もいる、劇を演じるのが上手い子もいます。

子供にもある事は劣っていても、ある事は勝っているものが確実にある。これを公平に扱ってあげるのが大人や親や先生の役目ではないですか?

長短合わせて総じて人は平等に出来ている気がします。が、パーツパーツまで平等にしろと言うなら、どこかの違う(国)世の中になってしまうんです。分かりなさい!

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