趣味の話し。サーフィン①
趣味のサーフィンはまだ当分出来ません。私がサーフィンをどうして大切なものと思えるのか?その訳をブログに。
10代の後半、今から30年近く前、若い人からすれば考えられないと思いますが、巷ではサーファーディスコ(今で言うクラブ)なるものが流行っていました。私も夜な夜な通っていました。
六本木、新宿、渋谷。元々色白な私はファッションだけはサーファーの成りしてチャラってた訳です。チャラい私なりに考えました。
「まてよぉ~、成りだけでなくて1回くらいやらないと格好つかないぞぉ~」って。そんな具合でやってみました。
難しい!!
あまりのへたれ具合に自分自身に嫌気が差し、チャラってる場合じゃなくなりました。思い立つとまっしぐら。すぐに都内のチームに入会し、それからのおよそ2年はまさにサーフィン三昧です。
伊豆のビーチハウスでもアルバイトしていました。当時その浜でやっていた中学生や小学生は大人になりトッププロで活躍していました。残念ながら当時、非社交的で超内弁慶の私は伊豆のローカルとの交流はありません。喧嘩はしたけど(笑)。
その後の私はと言うと努力の甲斐があり、チャラ男から脱却2年で東京都の予選を3番で通過して全日本選手権に出場できました。
本選は四国の生見海岸です。一回戦敗退。しかもビリ。言い訳すると勝っていました。岩陰でジャッジから見えなかったのです。だから乗っていないことになっていました。
それからの私の目標は全日本で入賞することでした。ちなみに私の運動神経は子供の時からそこそこいいのですが、クラスでもトップではありません。自分を知っているので、プロなんて始めから無理。
当時のスタイルは今と違いマニューバーと言う乗っている波のラインときっちり波をメイクすることで高得点を得ることが出来ました。私のスタイルにピッタシでした。
ちなみに今も当時からまったく進化していません。当時のままです。(いや後退しています)そんな時代だから当時はただの夢でもなかったんですねぇ~。
でも就職。四国で負けた時、これで止めておきなって事だったんでしょうね。次の年は補欠で新島大会の切符は手にしたのですが、補欠でなくてチャンと行ってやる的な思いから行きませんでした。今思えば行けば良かった。
て、言うのもそれから先は常に予選敗退。しょうがないので、小さな大会に沢山出て、専門誌にほんとに小さく名前が載ることを喜んでいたほんとに小さな人間でした。だからトロフィーとか半端じゃなくありますよ。実家に。ろくでもない大会の。
週1サーファーになっても夢は諦めきれず、コンスタントに波のない湘南じゃダメだって事で毎週一人で千葉に通いました。
トップコンペティターが集まる志田下と言うポイントに就職して購入した86をぶっ飛ばして一人で日曜日に3ラウンド練習しました。そりゃ~仲間はいましたよ。でもほとんど一人で行きました。
多分周りからは暗い奴と思われたと思います。また非社交性も直っておらず、4~5年通い有名な連中と顔見知りにはなり、ラインナップには入れてもらえるものの、こちらも壁を作り結局千葉のローカルとも仲良くはなれませんでした。
サーフィンもこれ以上上手くもならず、そして自分の才能の無さに夢を諦めました。その後、独立開業。
つづく。
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