例えば素直に聞けなかった話し
昨日の話しとは逆に素直に聞けなかった話しとかもあります。私よりだいぶ若いコンサルの話しです。社員には40代以上の所謂ベテランと言われる類の人がいます。
考え方も凝り固まって柔軟性もなくなっています。彼らは変わらない、と言います。何十件もコンサルをしてきて、今まで変わったケースはない、と。
時間がもったいないので、それよりも若手の教育に時間を割いた方が効率的です。と仰っていました。たぶん嘘はないでしょう。実際にそうだったと思われます。
しかし、聞けないです。きれい事に聞こえるかもしれませんが、そうではありません!きれい事とどう違うかって言うと、自分を否定してしまうことになるから認められないのです。
私は40を過ぎてから考え方が100度位変わっています。それは自己啓発やセミナーや書籍のお蔭です。考え方と言うフィルターが入れ替わっています。
だからそれを認めると自分は過去と変わっていないことになります。確かに若い方の方が変化するスピードは速いし、新鮮な企業風土にすべて影響されます。
しかし年寄り(この表現すみません!)は、いままで生きてきた根っこがあるので、すぐにはムリです。しかし変わると思っていますし、それも経営者の役目とも思います。
会の元会長の講演を聞いたことがあります。
「経営者の役目は重いのです!いいですか!あなた方の社員さんが定年を迎えた時、その定年する社員を欲しいと言ってくれる会社があるほどの人を育てるのが、経営者の役目なんですよ!!」
凄くないですか? これがホントと違いますか?聞いた時、考え込みましたからねぇ~。自分の与えられた役目はなんなのか?なぜ偶然にも経営者なのか?
うちのS野とは彼がFCCに入る前から知り合っています。44です。おバカです。相当甘えて生きてきた筈です。何かを与えられるのが普通です。
気持ちはあっても、自分から誰かの為、人の為にアクションはないです。そんな奴の最近のブログは親孝行しています。会社から教えられなくても、いろいろ気が付いたのかもしれません。
でも風土がなければ、気付くきっかけもない筈です。彼でも牛歩の様に成長している筈です。こう言うのを見捨てると、果たして自分の存在意義があるのか??
役割は人の数だけある筈です。経営者が効率的に、ベテランを教育しなくていいなんて言う信念があるのなら、役割を放棄していることになります。違いますか??
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